随伴(adjoint)と随伴射(adjunct)
圏論の概念のひとつである「随伴(adjoint)」.困ったことに,見たところ語の形はほとんど変わらないのに,これとは区別される概念「随伴射(adjunct)」があります.とはいえ,随伴射という概念は,おそらくほとんど使われたことがないので,これに困らされたことはないかもしれませんが.
『圏論の基礎』で随伴と随伴射が登場するところを読みましょう.
随伴は$\mathrm{hom}$集合を使わず射を用いて直接記述することもできる.それは各射$f : F x \rightarrow a$に$f$の右随伴射(right-adjunct)と呼ばれる射$\varphi f = \mathrm{rad} f : x \rightarrow G a$を割り当てる全単射で,〔...〕.
このような随伴が与えられたとき〔Given such an adjunction〕,関手$F$は$G$の左随伴(left-adjoint)と呼ばれ,一方で$G$は$F$の右随伴(right-adjoint)と呼ばれる.(S.マクレーン『圏論の基礎』, 第Ⅳ章「随伴」,p.104)
随伴射(adjunct)は射と射の間の自然な全単射(引用では$\varphi$に相当)に与えられた名前ですが,随伴(adjoint)とは関手(引用では$F$に相当)に与えられた名前です.
adjointという語は数学用語で,普通の英文には登場しません(「隣接する」を表す動詞adjoinはあります).Wikipediaにはフランス語由来ということになっています.たしかにフランス語にはadjointという語はあります.adjoint(アドジョワン)は「補佐」「補助」という意味になります.数学において「随伴」「同伴」と訳される語です.adjunctは特に数学用語というわけではなく,「付属」「補助」などと訳される普通名詞です.言語の事情は少し分からないところがあるのですが,いずれもラテン語adjungereという語から生まれました.ですから,adjunctとadjoinはそれほど遠い語ではなく,意味においても,互いに関節(joint)で繋がれているということなので,それほど区別はありません.
随伴(随伴関係 adjunction)
さらに困ったことに,『圏論の基礎』では,随伴(adjunction)という語も異なる意味で使っています.ふたたび『圏論の基礎』を読みましょう.
定義 1 $A$と$X$を圏とする.$X$から$A$への随伴(adjunction)とは次の条件を満たすような三つ組$\langle F, G, \varphi \rangle$である.(同前,p.103)
adjunctは射と射の間の全単射,adjointは関手,そして,adjunctionは三つ組に与えられた名前でした.さすがに,日本語においてはadjunctionとadjointは訳し分けられていません.最初の引用においても「このような随伴が与えられたとき〔Given such an adjunction〕」として,adjunctionが現れています.
清水義夫氏の著書(『圏論による論理学』,『記号論理学講義』)を読むと,adjunctionは「随伴関係」という語で表しているようです.
拡張(extension)と制限(restriction)
さて,「随伴射」という,なじみの少ない語.とはいえ,この概念は随伴が登場するところには必ず含まれており,圏論が一般的にadjunctと呼ぶ前から(そしてそれは普及したとは言えない),いくつかの名前が付いていました.『圏論の基礎』第Ⅳ章の冒頭に少しだけ現れています.
各関数$g : X \rightarrow U(W)$は,一意的な線形変換$f : V(X) \rightarrow W$に拡張される〔extends〕.〔...〕この対応$\psi : g \mapsto f $は逆対応$\varphi : f \mapsto f | X$,すなわち$f$の$X$への制限〔restriction〕を持ち,それゆえ$\varphi$は全単射〔...〕である.(同前,p.101)
拡張(extension)と制限(restriction).これは左随伴射と右随伴射の関係のひとつです.推件式でこれを表現してみると,もう少し読みやすいかもしれません.
$$\begin{eqnarray*}
F x &\rightarrow& a\\ \hline
x &\rightarrow& G a
\end{eqnarray*}$$
この表現に乗せれば,制限(右随伴射)とは上の式から下の式を導くことであり,拡張(左随伴射)とは下の式から上の式を導くことです.LK(論理計算 Logischer Kalkül)の論理規則にも左右がありますが,おおむね整合性はとれています.
上限(supremum)と下限(infimum)
拡張と制限という語彙は,基本的に,自由代数系に使われるものです.つまり,自由と忘却の随伴において.随伴にはもうひとつ代表的なものがありました.極限です.
極限における随伴とは積(product)と和(sum)(余積(coproduct))の関係でもあります.そして,これらは束において,交わり(meet)と結び(join)の関係として,さらには,下限(infimum)と上限(supremum)の関係に重ねられました.『圏論の基礎』では,この一般化をさらに進めて(?),極限(limit)と余極限(colimit)として呼んでいます(対角関手の右随伴関手と左随伴関手).
ちなみに『圏論の基礎』によれば,極限は逆極限(inverse limit)あるいは射影的極限(projective limit)とも呼ばれ,余極限は順極限(direct limit)あるいは帰納的極限(inductive limit)とも呼ばれるようです.
極限とは,ある系列が与えられたときにある普遍的な性質を持つ対象を呼ぶものでした(任意の対象に対して,ある射が一意的に存在し,次の図式を可換にする...).そのため,積(交わり,下限,極限)もしくは和(結び,上限,余極限)は対象です.とはいえ,射のこともそう呼ぶことがあります.積においては射影と,和においては入射と組で考えるからです.
対射(pair)と合射(case)
上限と下限については,実は余談でして,本当は,極限における随伴射の名前を与えたく思っていました.そして,すでに名前は付いています.記法もあります.
まずは積について.$f : C \rightarrow A$と$g : C \rightarrow B$が与えられたとき,$\langle f , g \rangle : C \rightarrow A \times B$を定められます(もし,その圏に積が存在するなら).これは右随伴射です.「$\langle f , g \rangle$は『$f$と$g$の対射』と呼びます〔pronounced 'pair $f$ and $g$'〕」(R.Bird, Algebra of Programming).pairはpairingと書くこともあり,おそらく日本語訳はないのではないでしょうか.適当に調べると,ペアリングとそのまま書いているものをいくつか見つけます(キマイラ日記など).pairingもpariも日本語では「対」と訳すことが多いので,ここでは適当に「対射」と訳しましょう.
次に和について.$f : A \rightarrow C$と$g : B \rightarrow C$が与えられたとき,$[f,g] : A + B \rightarrow C$が定まります(もし,和が存在するなら).これは左随伴射です.「$[f,g]$は『$f$または$g$の合射』と呼びます〔pronounced 'case f or g'〕」(同前).caseという語をこの意味で使われるのは,見かけたことがありません.copairingの方がよく使われてると思います.そのため,余ペアリングや余対と訳されたりしてます.ここでは,caseが「場合」と訳されることが多いこと,pairが対という漢字一字で訳されていることから,「合射」と訳しました.
「対射(pair)」「合射(case)」は,ここで即席で造った訳語なので,一応注意を.
おわりに
というわけで,随伴射(adjunct)を自由・忘却随伴においては「制限」「拡張」と呼び,極限随伴においては「対射」「合射」と呼ぶ,というのはどうかな,と思ってみたりしました.左右で言うのも,直感的ではないでしょう.あれは,記法においてそうだっただけで,あまり意味から正当に名づけられたようにも思えません.極限も帰納極限とか余極限とか逆極限というのも,よくわかりません.関手を$\mathrm{lim}_{\leftarrow}$とか$\mathrm{lim}_{\rightarrow}$で示したりするのも.あれも$\mathrm{sup}$と$\mathrm{inf}$でいいのではないか,と.さらに余談ですが,圏論は「矢の記法(arrow notation)」など,記法から導かれたところがあります.『圏論の基礎』でもモナドという呼び方に,いくつか歴史的な註釈があります.命名や記法の整備は,数学の発展において,それなりの影響力を持っているはずなので,この意志はそれなりに大事にしたいところ.